社会医療法人芳和会 私たち芳和会は、無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす組織です。
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理事長挨拶

芳和会 理事長 積 豪英 1951年に平田宗男先生が芳和会を開設し約70年が経過しました。1954年に全日本民医連に加盟し、以後全国の仲間と共に医療変革、社会変革の道を歩んできました。
 1960年には三池闘争医療班を派遣し、1964年に興国人絹八代工場の二硫化炭素中毒検診に取り組み始めました。同年二人の患者さんにC S2労災初認定を勝ち取りました。1974年に水俣診療所(後に水俣協立病院)を開設し水俣病問題への取り組みを強化しました。以後阪神大震災や東北大震災においても全国の仲間と共同し医療支援を送り続けています。熊本震災では全国からの支援を受け入れる拠点としての役割を果たし、被災者救援に力を尽くしました。2020年の熊本水害ではコロナ禍の中、泥だしや被災者救護に力を発揮しています。
 2009年には、くわみず病院、菊陽病院、平和クリニックで無料低額診療事業の取り組みが始まりました。私たちの目指す無差別・平等の理念を実践する取り組みの一つであると言えます。安心してすみ続けられる街づくりを目指して、熊本民医連の一員として力を発揮しています。

積理事長による訪問診療の様子 私自身の芳和会との関わりは、1977年の夏が始まりでした。熊大医学部進学課程1年生の頃、医療問題研究会のメンバーが授業の終わった教室の前で水俣病に関する夏季研修の案内を配りました。それまで社会問題に疎かった私は、熊本県人として水俣病は学ぶ必要があるとの思いで、水俣の地で夏季セミナーに参加しました。そのセミナーには鹿児島大学と九州大学から各々数十名の参加があり大変熱気溢れるものでした。残念ながら地元熊本からは数名の参加でした。この時知り合った鹿児島や九大の先輩が後に鹿児島民医連や福岡民医連に参加され、知己を得ることができました。医学生の頃は精神科にしか興味がなく、色々と本を読んでいましたが、芳和会に熊本保養院があることを知り、以後夏冬の実習を熊本保養院(後には菊陽病院)で行いました。毎年のように参加していましたので、職員や先生たちとは知り合いになり、自然と芳和会に入職することが決まっていたように思います。1983年5月に「民医連運動に参加する」という意識を持ち、芳和会に入職しました。入職後紆余曲折はありましたが外科医となり、くわみず病院で勤務いたしました。 
 2009年に天草ふれあいクリニックに赴任してからは、天草の地で育てられプライマリケア医として地域医療に従事し、安心してすみ続けられる街づくりを目指して、天草健康友の会の皆様と連携し運動を行ってきました。慢性疾患医療、労災職業病、水俣病、在宅医療などで地域の中でなくてはならない存在に育ってきたと感じています。
 2020年6月大石前理事長の後を受け、理事長に就任いたしました。今後は平田宗男先生以来の伝統である精神科医療に取り組み、諸先輩方が形作ってきた芳和会の歴史に新たな一章を刻みたいと存じます。コロナ禍の中で困難な時代ではありますが、次の世代に引き継ぐために、職員や社員、健康友の会の皆様のお力を借りて乗り越えていきたいと存じます。皆様の御指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

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